映画大好きポンポさんを観ました
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はい、映画大好きポンポさんを観ました
感想を書こうとするのだけど、大切なことは作品の中で語りつくされているので結局個人的な体験に基づく感想に終始してしまう
ポンポさんは「幸福は創造の敵だ」と言っていた。本当にその通りだと思う。満たされている人間には現実こそが拠り所だから、創作など娯楽の一つでしかないだろう
THE BACK HORNというバンドは「キズナソング」という曲の中でこう歌っていた
誰もがみんな幸せなら歌なんて生まれないさ
キズナソング / THE BACK HORN
だから世界よもっと鮮やかな悲しみに染まれ
ありふれた幸福の中では、本当の幸福、本当の人生の価値なんてものはどうでもいいのかもしれない
じゃあ、幸福でなければいいものはできるのか? そうではない、と僕は思う
ただ漫然と、緩やかに満たされた世界でそこにある少しの幸福の中で生き続けるのは正解だ。正解なんだけど、正解だと言いきれない自分がいる。いったいどうしたいんだ? きっと、何もしなくても生きていきる現代で(もちろんそうじゃない人もいるだろうけど)、それでもかつて不幸だった、悲しかった、辛かった自分を救おうと願うなら、これから先また不幸になることがあろうとも飛び込まなきゃダメなんだろう。不幸になることを恐れちゃいけないんだろう
ジーンくんがひたすら一人で映画を見続けた時間のように、内面世界を育てるぐちゃぐちゃした時間っていうのは必要なものだと思う。でも、育てた世界も死ぬまで孤独のままで誰の目にも触れないのはなんていうか報われないな、と最近になって思う。きっと現代社会において表現するということは、もはや世界とつながろうとすることなしには成しえないことなんだろう。少なくともそうして作られてきた作品を見て育ってきた僕らにとっては。……なんて小難しいことを言ってみたけれど、単に憧れているんだろうと思う。美しいものをみんなで作るあの世界に。それはもう仕事だとかそうじゃないかとかそういう次元の話でなく、誰かと一つのものを作り上げるという体験に憧れているんだと思う。きっとそのためには、世界と繋がることを、不幸になるかもしれなくても恐れちゃいけないんだろうと思う。
そんな気持ちになれるのは何かを好きだという気持ちがあるからなんだろう。何かを好きという気持ちになれるのはそれだけで才能だろうと思うのだ。才能があってよかったー! でも足りない。ジーンくんのように、狂気とも呼べるほど何かを好きになれる人間は羨ましい。だから、少しでも近づけるように、何かを好きという気持ちは何よりも大切にしていきたい。形にしていきたい。心からそう思う
感情がぐちゃぐちゃでうまく文章にできないけど、本当に観てよかったと思える映画だった